月夜の脳裏に、また、あの光景がちらついた。
  薄野原が焼かれその焔の中に狂ったように笑う白銀の妖狐と黒い妖狐――。
  炎から離れたそこに黒い狐と胡桃色の狐が身を寄せ合って倒れている――。
  狼と狸は何かを叫び、凛が青ざめて昌也に支えられている――。
  煙が結界のようにあたりに渦巻き、交戦していたらしい術者は退き、妖も遠目に二匹を
みている。
「月夜」
 その声にはっと我に返った。夕香の胸に寄りかかり今見た光景を思い出した。息が切れ
た。体が勝手に震える。
「どうしたの?」
 がたがたと震え始めた月夜を受け止めて夕香はため息混じりに聞くと月夜は目を瞑って
ため息をついた。
「平気だ」
 自分で座りなおすと月夜は目を細めた。そして体の震えをぐっと体に力を込めてとめる
と静かに息を吸った。
「未来視だな。この類は。いつかはわからない。焼かれた薄野原に銀狐と黒狐が対峙し、
その近くにお前ともう一匹、黒狐が身を寄せ合い倒れ、嵐と狸が動けないのか、どこかで
叫び、凛が兄貴に支えられていた。術者はその光景を見て退き、妖もその光景に目を向け
ていた」
「なにそれ」
「……わからない。どういうことなのか。多分、銀狐は白空だろう。二匹の黒狐だな。俺
が、狐なわけないし、教官も……」
 頭を悩ませて眉を寄せてがりがりと頭を掻いた。これでふけでも散っていたら金田一耕
介だなと客観的に思った夕香は首を傾げた。
「黒狐ったってあたしの近くにはいないよ? 長老ならともかく……」
 その言葉に月夜は溜め息をついてわからない事が多すぎるなと眉を寄せて頭を抱えた。
「仕方ない、か」
 意図的に夕香が倒れていた事に触れずにいうと月夜はため息をついて難しい顔をした。
「何なんだ、これは」
 ふつふつと、込みあがる疑念。夕香に殺されかけたあの日から、体の調子がすこぶる悪
い。おまけに未来視や神気の解放など、人ではありえないはずの事が起こっている。単純
に考えれば月夜は半人半神だと考えられるのだが、生まれてから十数年。いきなりその能
力が覚醒するなど、聞いた事もない。
 藺藤一族の祖先、それは、よくある話だが、神だという話だ。月夜の祖母はどこかの陰
陽師の家系から嫁いできたという話も聞いた事もあるが、どちらにせよ、祖先の血が濃く
発現するのも聞いた事のない。となると、月夜の母親がどういった人だったのかというこ
とだが、それを知る人はもう亡い。どちらにせよ、この際悩まないほうがいいのかもしれ
ないと判断して月夜は目を伏せた。
「とりあえず、どうするの?」
 夕香の言葉にため息をついて、ふと先ほどから扉のあたりをうろついている二人の人影
に出てきてもらおうと思い月夜は指を鳴らした。ふっと扉が開き、寄りかかっていたらし
い嵐が思い切り倒れてきた。凛はばれてたと言いたげな顔をしている。
「どうしたらいいと思う? 姉貴」
 聞くと一つ咳払いをして、凛はちらりと外に目を向けた。
「白空はこちらに向かってきているのか?」
「ちょ、それ」
「あーあ」
 大体いつから聞いていたかわかるその言葉に夕香が目を剥き嵐が頭を押さえたが気にせ
ずに月夜は目を細めた。
「いや、逆に遠ざかっている。逃げたって感じだな」
 そういえば忘れてたといいたげに頬をかきため息を吐いた。
「多分、妖のほうでは、お前たちが犯人だと思っていないだろうから、そっちをみてみる
か?妖狼のとこの神も壊されて長老が大騒ぎしていたところだ。嵐はどうするか?」
「とりあえず、俺は残る。昌也兄も連れてくるから」
「わかった」
 うなずくと月夜に嵐の狩衣を放ってよこし夕香と嵐を引き連れて凛は部屋を去った。放
ってよこされた狩衣を手馴れた手つきで着込み外に出た。
「ぴったしじゃん、大きくなったもんだねえ」
 袖と裾があっている事を確認してから凛が月夜の頭をなでた。月夜は当然それを振り払
ったが、背が伸び嵐と同じぐらいの背丈になったということにうれしさを隠しきれてなか
った。今はもう遠い昔の事のようだが、数ヶ月前は十センチ以上も違ったのだ。
「じゃ、行こうか」
 凛が手馴れた手つきで子飼いの狼一匹を出して月夜を見てにやりと笑った。
「そういうことですね」
「そ」
 げんなりしつつ月夜は右手を鋭く振って目を細めた。光と風と共に出てきたのはどこか
違う犬神だった。
 毛皮は黒。その瞳は夜闇に浮かぶ望月の色。牙は鋭く爪もまた鋭い。三角形の耳はだら
りと下げられ眠そうに目を瞬かしていた。どうみても昼寝を邪魔された犬だ。
「真っ黒?」
 凛があれと言いたげに首を傾げたが、黒い犬神を出した事がない月夜はもっと驚いてい
た。月夜の頭にある仮説を抱かせた黒い犬神はのんきにあくびをしている。
「瞬」
 自分の犬神につけてある真名を呼ぶと、何?、と言いたげに月夜のほうをむいた。
「犬神自身は変わってないという事か」
 凛も驚いていたが犬神の様子をみて眉を寄せた。夕香はこの状況についていけてない。
「俺自身の霊力の変質か、やはり、俺は」
 拳を握って月夜は目を伏せた。もしかしたらと頭に浮かんだそれは確かめようのない事
だった。それにまだ、謎は残っている。
「まあいい、いくぞ」
 凛の鋭い言葉に月夜はうなずき黒い犬神に乗った。夕香も月夜の犬神に乗り妖狼のすむ
村へ急いだ。



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